タビジョのゆかいな放浪記

日本や世界の街々を巡った放浪記を綴ります♪

【番外編】本日77回目の長崎原爆の日

【番外編】本日77回目の長崎原爆の日

 暫くブログから離れている間に、例年以上に暑さを感じるの8月になっていました。いつものこの時期は、お中元や高校野球の話題で夏を感じたり、お墓参りなどをしてお盆だと実感したりしているのですが、今年はいつもと少し違った本日8月9日を迎えています。

 本日は「長崎原爆の日ですが、もちろんこれは生まれたか時から存在していた日ではあります。では何故いつもと少し違っているのか。。。

 今年5月、コロナの状況をうかがいながら家族で長崎へ旅行に行きました。初日はハウステンボスに行き、その翌日は軍艦島に訪れたりして、長崎の人気観光地を巡って旅行を楽しんでいたわけです。そして帰る日の朝、ホテル近くの山王神社に行きました。そうです、「1本柱鳥居」被爆クスノキで有名なあの「山王神社」です。

 長崎へは高校の修学旅行で初めて訪れました。バスガイドさんがバスの中から、「一瞬しか見えないので見逃さない様に」と言って車窓から指さされていた記憶が蘇りました。しかし、一瞬過ぎて見えなかったので、実物を見るのは今回が初めてでした。

 静かな住宅街に、ほんとに1本だけで立ってました。「原爆」と言っても、関西で生まれ育った私は正直ピンときません。もちろん頭で理解していても、どこかで震災で1本になってしまったと変換されてしまうのです。何度も、原爆で、原爆でと頭で切り替えて考えた時、原爆が落とされた爆心地から800mも離れたところで、爆風だけでこんな大きな石の塊が吹っ飛ばされるって!と思うと、原爆の威力を思い知らされました。

 この鳥居の近くには、倒壊してしまった左半分も現存して置いてありました。1本で立つ鳥居、左半分の鳥居を見るだけでも何とも言えない気持ちになったのですが、「大神宮」としか見えない「扁額」には残酷さが増しました。

 暫く歩き「山王神社」に向かうと、大きなクスノキが見えてきました。これが被爆クスノキでした。

 左右に分かれた2本のクスノキ。樹齢は5~600年と言われています。

 鳥居と共にこちらも爆風により幹には大きな裂を生じ、枝葉が吹き飛ばされ丸裸となったそうです。また熱線により木肌を焼かれ、一時は枯死寸前を思わせたが、その後樹勢を盛りかえし、現在は長崎市の天然記念物に指定されているとのことです。

 

 現在はこんなにも立派に生い茂っていますが、爆風の影響で上部が折れた為に、幹回りの太さの割りに樹高はそれほどでもないそうです。

 一見平和で何気ない景色の中に、私が知らない原爆の凄さを知ることのできる貴重な1本柱鳥居とこのクスノキ。戦争を知らない世代にも二度と戦争を起こしてはいけないということを残していく為に、それぞれは必死に現存して使命を果たしているのかなと思わせました。

 長崎出身の福山雅治さんがこの被爆クスノキを歌ったクスノキ、以前紅白でも歌われていました。そしてクスノキ募金」「KUSUNOKIプロジェクト」等の活動もされています。福山雅治さんというアーティストがこのような形で後世に残される意味はとても大きなことだと思いますし、より原爆を身近に感じられてるからこそ、福山さん自身も使命感を持たれているのだろうなと思います。

 長崎そして広島で被曝された、また戦後この地で生まれ育った人達が迎えられる8月6日、8月9日は、私達とは全く違う特別な1日なんだろうなと、どんな気持ちで迎えられるんだろうなと、今回の旅行で感じました。

 あれから数か月経ちましたが、1本柱鳥居と被爆クスノキを見た衝撃は今でも心に残っています。

 

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